旅行・地域

2009年11月 5日 (木)

プノンペンの水祭り

8_3 11月1日の午後に成田を発ち、同日の深夜にプノンペン空港に降り立ちました。カンボジアは3カ月振りです。3輪タクシー(トゥクトゥク)で馴染みとなってしまった安宿ゲストハウスへ。インターネットの世ですので、安宿でもメール予約受付します。
翌日、国際支援団体職員の家族と「水祭り」に出掛けました。毎年11月1日から3日に開催され、収穫の感謝とこれからの乾季を祝い、お盆で迎えた先祖を送る送り火をします。王宮を中心にトンレサップ川西岸は車の通行止めで駐輪場は大流行りです。近隣の町からも集まり、家族が連れだって300万の人の海となります。
主な催しものはボートレースshipとか専用会場での祭典ですが、入場出来ない庶民はひたすら露店を眺めながら人の波になります。時々花火が上がりました。あちことの歩道でゴザを敷いて食事しています。私たちも露店の食事を取りました。その中の一つはゆで卵。これが半分孵化cryingしているのです。チキン料理の一種と云えます。1個(匹)で満足しましたweep
最終日は私だけ観光客用の観覧席に入り、最終のボートレースを見学。トンレサップ川ではボートレースの熱戦が展開されて、時折歓声が上がります。小雨のパラつきが、段々と激しくなりましたが、いつもの夕立だろうと止むのをまちましたが、一向に止まず激しくなるばかりrain。その上、強風が吹き荒れてきました。観客達は全身びしょ濡れでガタガタ震えています。止まないと諦めた観客達は家路を急ぎます。2時間程で止みましたが、本当に「水祭り」でした。後で聞くと、ベトナム沖に台風が来ていたとの事、納得しましたthink

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2009年10月31日 (土)

秋の飛鳥路巡り

Photo_2 10月18日、友人達3人と秋の飛鳥路を巡りました。友人達は山登り仲間、皆リタイアした年配者coldsweats01。だからではないのですが、自転車で巡りました。ボランティアのガイドさんも同じ年配者。出発地は「橿原神宮前駅」。9時に出発し、まず甘樫丘。大和三山、奈良盆地が一望出来ました。下って日本最古の仏像・銅造釈迦如来座像の飛鳥寺。次は次は飛鳥資料館。ここで昼食。とろみうどんと押し寿司定食。南へ辿って奈良県立万葉文化館。玄関前に「遷都君」が立っていました。次は岡寺。日本最大の塑像で高さ4.5mの如意輪観音坐像がおられます。境内からは飛鳥の里が見渡せます。次は横穴式石室の巨岩・石見台古墳。6世紀前半に築造され、女に化けた狐がここで舞ったとの伝説coldsweats01があります。次は聖徳太子が自らの生誕地に建てた橘寺河原寺跡、亀石、鬼の雪隠(セッチン)toilet、俎板(マナイタ)を辿って高松塚壁画館へ。最後は高松塚古墳。本当にこの辺りは、掘れば遺跡なのです。出発地に戻ったのは16時。掛った費用は貸し自転車代1000円、昼食代1000円、ガイドさんの交通費と昼食代500円の計2500円でした。見所一杯で大方は素通りでしたが、改めて古代日本の世界を知りましたhappy01

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2009年9月11日 (金)

香港から上海へ

香港から上海へは夜行列車trainが走っています。1600キロを約18時間で結びます。料金は2等寝台の6人部屋の上段が508香港ドル(約6300円)、中段が519香港ドル、下段が530香港ドル。私は当然、上段despair。日本ですと大阪・札幌間と同じ距離で25600円。香港駅で出国手続きと荷物検査をして乗車。乗車券の見方が分からなくて、回りの中国人達に聞いて自席を確保。上段は天井が間近で、起き上がると頭をぶつけてしまいます。安かろう悪かろうですhappy02。定刻15時15分が来ると、例によって案内も何も無く動き始めました。同室はおばちゃん達ばかり。どこの国でも同じで世間話のおしゃべりに夢中。でも暗くなってくると皆、爆睡。広州駅で一時停車。隣のホームに成都行きの列車が止まっていました。かなりのオンボロ車体。成都は昨年5月12日に8500人超の犠牲者を出した大地震がありました。朝10時、11ヶ月振りの上海駅は相変らずの混雑。変わっていたのは長距離切符売り場が近距離用自動券売機室になっていた事です。慣れない皆さんは不安げに仲間と相談しながらボタンを押していました。長距離切符売場は道を挟んだ隣のビルの1階と2階にあり、広くなっていました。街に着くとまず宿探しですが、今回は事前に調べておいたユースホステルへ。上海には8軒ありますが、第1候補から第3候補まで回りましたが全て満室wobbly。思えば今は8月、学校の夏休みなのでした。残りも満室と予想し、ユースホステルは諦めて上海駅へ戻り、宿斡旋所で紹介して貰って150元(約2100円)の中級ホテルへ投宿。翌日、気を取り直して再びユースホステル探し。ありましたsign01相部屋50元(約700円)sign01バックパッカー達がたむろしています。早速引っ越ししました。このユースホステルは新しくて小奇麗です。無線ランの電波がロビーに飛んでいて、あちこちでノートパソコンを開いている姿が見えます。私もと云いたいところですが、香港でダウンしたままbearing。指を咥えて眺めるだけweep。 中国と日本を結ぶ一番安い交通手段は上海と大阪・神戸間を結ぶ国際フェリーですship。その為、日本人バックパッカー達の多くはこのルートを使って中国へアジアへ世界へと旅立ちます。私の今回の帰国はこのフェリーに決めました。P1120414m

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2009年9月 6日 (日)

南ニン~広州~香港

ベトナムから慌ただしく国境越えして入った中国は昨年9月以来で4度目です。国境バスで最初に着いた街は南ニン。ここのバス駅は大きく人の海。辺りは建設中のビルが立ち並ぶ新興開発地域で中国の国力を感じます。駅の掲示地図を眺めて次の目的地を広州に決め、乗車券を求めましたが明日の午後まで売り切れ。新興地なので安宿などある筈無く、駅ビルに隣接した中級ホテルに投宿。部屋が広過ぎて落ち着きませんdespair。翌日はバスの出発の午後3時まで、バス駅で溢れるほどの中国人たちをウォチング。皆、懸命に生きています。広州行きのバスは寝台バス。外観は随分と走り込んだ感じのオンボロ。乗車すると内装は外観同様で少し異臭がします。寝台席の布団は何日も洗ってない模様angry。バスは700キロ先の広州市へ向かって走り出し、到着したのは14時間後の翌朝6時。着いた所は広州バス駅。ここはどこ?私は誰?状態ですcoldsweats02。取り敢えず路線バスで広州東鉄道駅へ行き、カバンを預けて中心街を散策。23年前に来ているのですが、様変わりで超高層ビルが立ち並びほとんど東京ニューヨークです。でもビルの谷間に入りますと、昔ながらの中国の庶民の世界があります。夕方4時発の香港直行の特急列車の乗車口に行きますと、パスポートチェックがあり、中国出国となりました。2時間で香港へ到着。入国審査を受けて香港入境。1997年7月に香港はイギリスから中国に返還されたのにまだ外国扱いです。基本的な社会経済制度は「一国二制度」で、法体系はイギリス領時代のコモン・ローがそのまま用いられています。だから、若干制限はありますが、言論の自由があります。タクシーの運転手に安宿は無いかと聞き、連れて行かれたのが繁華街のど真ん中。車から降りると男達が群がって来ました。皆「ホテル、ホテル!」と叫んでいます。一番安い値段を言う中国人に決め、連れらて行かれたのは高層雑居ビル。回りは中国人にインド人、黒人にアラブ人。ここはどこの国なのか?と思いました。皆、一癖も二癖もあるような顔付でうさんくさい事この上無いのですが、私はこんな雰囲気が好きなのですcatface?!。エレベータで15階。受け付けは中国人のオバサン。1泊150香港ドル(約1800円)。部屋は2畳程で、ここにベッドとトイレ・シャワー・エアコン・テレビ。インターネット用のランケーブルもあります。ハノイを出てからメールチェックしていないので、早速ネット接続。そして返信メールを書いていると突然フリーズsign01。電源を入れ直してもダメ。エアコンの冷風で冷やしましたがダメ。前回の北中南米の旅の時の再現です。仕方なく、近くのインターネットカフェを使う事にしました。2階建て路線バスの最前列に座り、終点から終点への路線バス観光で街を眺めました。香港も23年前に来ているのですが、さっぱり記憶がありません。ビルが新しくなり、街が綺麗になっているのは確かです。
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2009年8月26日 (水)

「夢ホーム」訪問

カンボジアのコンポンスプー県、首都プノンペンから南西に70キロにある児童保護施設「夢ホーム」を訪ねました。ここには男児8人、女児8人と園長さん、保母さん、コックさんの計19人と犬2匹が共同生活しています。夜には警備員さんが番犬を連れてやってきます。児童たちは家で暮らす事、学校へ通う事が難しい子供たちです。この施設は日本の支援団体「21世紀のカンボジアを支援する会」・略称:AAC21(根岸恒夫理事長)により、今年1月に開所されました。敷地は奥行き90メートル、幅45メートル。児童と職員たちの家houseと庭、遊技場、池があります。入口右手角に支援者による板金教室が建てられようとしていました。AAC21は2000年(H12年)1月発足。里親運動、校舎建設、井戸掘り、遊具セット寄贈等一筋にカンボジアの支援を続けています。夢ホームの児童たちの生活は午前中は部屋と庭の掃除、昼食後に揃って近くの小学校へ通学。出掛ける時には合掌して挨拶して呉れます。可愛いです。ここが子供たちの夢を育み、子供たちが良きカンボジア人になって呉れる事を祈るばかり!。今回の旅ではAAC21の井戸寄贈式典、里子の家への訪問に同行しました。カンボジアの田舎の実情を知る事が出来、支援の必要さを実感しました。AAC21は支援者・賛同者を募っています。詳しくはこちらへ→http://www.aac21.net/index.html
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2009年8月11日 (火)

ベトナム・中国 国境越え その2

P1120088_2 ベトナム・ハノイ発中国・南宇行きのバスbusは車とバイクで埋まり、警笛が鳴り響く大通りへ突入。ベロナムの街の大通りの多くの交差点はロータリー式で信号がありません。それを阿吽の呼吸で互いに避け合って通り抜けて行きます。市街地を抜けると田園風景。田んぼのあちこちに編み笠姿が見えます。次は野山の風景。ハットさせられる景観があったりします。3時間ほど走って中国との国境手前に到着。荷物全部持ち、バス会社の名前の札を首から下げ、ベトナム国境管理所へ。数人が居並ぶ出国カウンターへパスポートを出すと出国印が押されて10分程で返って来ました。出口待って居たのは中国製電気自動車。オリンピックで使われたオープンカーです。国境はこれで通過sign03。ちょっとあっけないdelicious次は中国国境管理所。まず、健康診査表記入。1週間前は何処にいたのか?この後の1週間の予定はどうなのか?等々細かな質問事項が並び些か手間取りましたが、係員に助けられながら、何とか通過。最後の入国審査は簡単でした。また電気自動車に乗り、南宇行きのバスへ。乗せられたのはハノイからのバスではなく、中国の大型バス。カンボジア・ベトナム間の様な直通の同一バスではありませんでした。この辺りの中国国境管理施設はベトナム側より一回りも広く大きく、中国の威信を見せ付けている感じです。バスは南宇へ向けて走り出しましたが、行けども行けども原野が続きます。

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2009年8月 7日 (金)

ベトナム・中国 国境越え

ベトナムから中国への陸路国境越えに3ルートあります。1つ目は西のラオカイから河口、2つ目は中央のドンダンから友誼関、3つ目は沿海沿いのモンカイから東興。どのルートがいいのか全く不明なのでdespair、ハノイの安宿街に並ぶ旅行社の幾つかで聞きました。ホーチミンでもそうでしたが、宿は旅行代理店でもあります。どこも皆揃って「ナンニン!」と答えます。グーグルマップで探しました、国境付近を、でも見当たりません!。地図を拡大すると「南宇日本字に無く、最も近い形の字です)」の文字が目に入りました。国境から東へ300キロも離れています。南宇からベトナム方向へ道を辿ると国境に友誼関とドンダンがあります。納得出来たので、このルートに決定sign03。料金はバスの発着場までの送り付きで25ドル(約2400円)、距離は500キロ近く。出発日の朝、宿の主人のバイクの後ろに乗ってバス発着場へ。ヘルメットを貸して呉れました。嬉しいですね、これで転倒しても大丈夫bearing。時刻は8時少し回ったばかりですが、通りの商店は皆開いています。通りはバイクの波、天秤棒担ぐいだ編み笠のおばさん達も物売りに励んでいます。ベトナム人、皆働き者なのです。バスの切符の会社名には「○○公司」とありますので、中国の会社と分かります。出発まで時間があるので事務所で待とうと椅子に座ると女事務員に何か分かりませんが詰問されました。出て行けと言っているらしい。やはり中国です。先が思いやられますsad。バスは中型bus、乗客は10数人で観光客はドイツ人カップルと私の3人だけ。定刻より10分遅れて、いざ中国へsign02

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2009年8月 2日 (日)

リエルとドン

カンボジア王国の通貨単位はリエルベトナム社会主義共和国の通貨単位はドン。共に紙幣だけで硬貨はありません。そして共にアメリカ・ドルが併用されています。店で買物したり、宿での料金をアメリカ・ドルで支払うと釣り銭はそれぞれの国の通貨だったりの混在です。但し歩道で店開きしている飲食屋とか、天秤棒担いで物売りしているオバチャンにはドルでは拒否されますdespair。現地通貨とアメリカ・ドルの換算値は大まかに決まっていて、毎日の為替相場変動など無視ですsad。今回の旅で最初に入国したカンボジアでは千円が約20万リエル大金持happy01になった気分ですが、ゼロの数が多過ぎて馴染むのに時間が掛りますdespair。次の隣国ベトナムに入りますと紙幣の桁が更に1つ増え、ますます大金持ちの気分sign03。露店で食事すると2万ドン払いますが、換算すれば100円sign01。近隣諸国も同様ですが、安宿が500円前後、食事が100円前後ですので所持金の減り方が小さいのです。だから、ついつい腰が重くなって居着いてしまいますbleah。これをバッグパッカー用語で沈没すると云いますgawk。カンボジアであちこち回ったりしての1ヵ月での支出総額は約3万円でした。先進国に住む者だからこそ享受出来る事です。嬉しいような、申し訳ないような思いです。同じ時代に生きていながら…think
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2009年8月 1日 (土)

ベトナム縦断バスの旅。

日本と同じ様に南北に長いベトナム社会主義共和国の、南に位置する最大の商業都市ホーチミンと北の首都ハノイとの距離は約1760キロ。陸路を繋ぐのはバスと列車。一方バスは運賃55万ドン(約2 940円)、時間は乗り継ぎ待ち時間含めて47時間日本ですと青森から下関の距離に等しく、高速バスで24250円。列車はその名も統一鉄道。運賃は寝台車の最低価格が58万ドンで所要時間は約41時間。最速列車ですと30時間ですが寝台最低価格70万ドン。鉄道切符の購入が面倒そうだったので、ベトナム旅行では名高い旅行社の「シンカフェー」のバスを利用しました。ホーチミンを朝出発して夕方ニンチャン到着。2時間後、2台目は夜行バスでホイアンへ。この夜行バスは寝台バス。縦にベッド状の席が上下2段3列30席並びます。この形の寝台バスがあるのは、私の経験ではここベトナムと中国だけです。若干狭いのですが、水平状態ですので寝られますsign01。中国では中国人客達があちこちで夜遅くまで大声で携帯電話をするは、スピーカーで音楽を聴くはで眠れませんでしたweep。今回も若干不安がありましたが、ベトナム人の携帯電話は夕方までで夜は静か。良く眠れましたwink。翌朝ホイアン到着。2時間ほど待って3台目フエ行きに乗ります。この行程は昼間なのに何故か寝台バス。寝っころがったり、座ったりしながら車窓を眺める事が出来ます。ホイアンとフエ間は距離が短く午後少し回って到着。最後の終点ハノイ行きの4台目は夕方出発で当然寝台バス。120キロを12時間で走り、ホーチミンを出て2日目の早朝ハノイに到着このバスは都市間にある名所3ヵ所ほど全行程で12ヵ所に30分程停車しますので観光も出来ます。乗客は地元ベトナム人が半分、残り半分が観光客。ホーチミンでもそうでしたが、このバス簡易観光で立ち寄った保養地には韓国人が目に付きます。バイクと乗用車はほとんど日本車ですが、ベトナムを走る大型バスのほとんどは韓国のヒュンダイ製。韓国は力を付けて来ました。
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2009年7月28日 (火)

ただ今、ベトナム、ホーチミン!

カンボジア王国のプノンペンから国際バスで、ベトナム社会主義共和国のホーチミンに来ました。ホーチミン市は旧名サイゴン。ベトナム戦争後、革命指導者・初代大統領ホーチミン氏に因んで改名。人口650万人でベトナム最大の商業都市です。ホーチミンへは14年振り2回目です。プノンペンの大通りでのオートバイの洪水には圧倒されましたが、ここホーチミンはそれを遥かに上回ります。オートバイ台数は約00万台。やはり、オートバイ大国です。半数がホンダ製、残りをヤマハ、スズキ、そして日本以外となっています。何故か、トゥクトゥクがほとんど走っていません。現在投宿中の安宿街はビルが立ち並び、その中にゲストハウスが密集しています。広さもその数もプノンペンの数倍sign01安宿街ではありますが、綺麗なレストランに美容院、エステ、旅行代理店、土産物屋、インターネットカフェー等々と店舗が並び、夜遅くまで賑わっています。ビルの間の路地に入ると、一転して庶民の生活の場があります。狭い土間の一室の正面にテレビが置かれ、そこで食事やら一家団欒happy01。そして肩寄せ合って寝ています。これから北の首都・ハノイまでの1730キロをバスで向かいます。3回乗り換え34時間の長旅ですsign02
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2009年7月26日 (日)

カンボジアからベトナムへ国境越え

カンボジアの観光ビザの期限は1ヵ月。宿代等生活費が格段に安い為、所持金の減り方が少なく、ついつい居着いてしまい、1ヵ月もあっと言う間です。カンボジア入国29日目にバスでベトナムへ向かいました。アンコール遺跡の町・シェムリアップからベトナムのホーチミンまで約500キロを13ドル(約1200円)の国際バスbusです。シェムリアップ朝7時発のバスは少々くたびれた内外装でしたが、プノンペンで乗り換えたバスは大きくなかなか綺麗。他国ベトナムに入るから綺麗にしているのかな?などと推測しました。ここからの乗客は子供連れのカンボジア人家族1組と残りは全て観光客20人。ほとんど白人さんで東洋系は韓国青年2人と私とチョット不明の女性1人。13時半、プノンペンを出ると直ぐにベトナム入国についての車内放送。そしてベトナム入国申請書と健康確認書が配われました。ベトナム滞在ホテル欄に何と記入しようか悩み、適当な名前を書きました。ほどなくパスポートと一緒に回収に来ました。滞在先欄を示してこれでイイかと聞くと、イイからとそのまま回収。そんなものか!。休憩1回して、川をフェリーで渡り、国境前のレストランで食事休憩。この辺りの値段表示はベトナム・ドンが併記されています。18時、いざ国境へ。何のやましい事も無く、清廉潔癖な私ではありますが、やはり国境越えには若干不安を感じますsad。バスに乗ってまずカンボジア側国境管理所。出国は簡単です。歩道に設けられた審査窓口に一人づつ立ち、顔写真を撮り、パスポートに出国印を押して貰って終了。またバスに乗ってベトナム国境管理所手前で下車。今度は皆、自分の荷物を持って管理所内へ。パスポートを回収され、審査窓口の手前で全員待ちます皆の顔は若干不安顔。一人づつ名前を呼ばれ、パスポートを受け取って通過。パスポートには入国印が押されてありましたsign01。一人づつ顔を見る事も無く、質問される事も無いのです。ベトナムビザは日本人には数年前から無用になっています。但し、ベトナム入国には出国用の航空券が必要と、どの説明書にも明記されています。そんな事、陸路入国では無理な事ですthink。これが若干不安の素なのでしたが、航空券持って無くても何のお咎めもありませんでした良かったsign01。入国が許された次は手荷物検査。ベルトコンベアのX線検査機に入れて異常無し。晴れてベトナム側へ。カンボジアのバスが待っていました。バスに乗って出発を待っていると、士官らしき軍人が乗って来て、一人づつパスポートを確認。無言なのが嫌な雰囲気を漂わせます。その後30分経っても出発しないのです。どうしたのかと思っていると、アメリカ人カップル2人がヤレヤレといった顔して乗ってきました。そう、この2人の入国許可が降りなかったのです。全員何とか入国出来て良かった良かったhappy01。バスは暗いベトナムの道を一路ホーチミンへ向かって走り出しましたbus
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プノンペンの安宿街

カンボジアの首都プノンペンには幾つか安宿街があります。中でも一番密集しているのが、ポントック湖東岸の安宿街で20軒ほどが軒を連ねています。扇風機付きの個室が3ドル(約290円)からあり、水シャワーが付くと1~2ドル高くなり、エアコン付きとなると10ドルからと、客の要望に応えています。。客は全て観光客でほとんどが白人バックパッカーたち。宿の前には朝から晩までバイクタクシーとトゥクトゥクが待ち構えています。宿の敷居を一歩出るとすかさず、「バイクsign01トゥクトゥクsign01」の声が掛ります。要らない時は、目を合わさず「ノーサンキュー!」と言いながら振り切ります。これを大通りに出るまでに10回は繰り返します。乗る時は乗る時で、値段交渉で神経をすり減らします。しかしながら、この運転手たちはこれで生きているのです。家族を養っているのです。1ドル2ドルを稼ぐのに懸命なのですcoldsweats02。この安宿街にはレストランや旅行代理店、インターネットカフェ、駄菓子屋、露店も密集し、旅人には便利な所でもあります。この通りを歩く人の半分は、白人客たち。車1台しか通れないこの安宿街の、更に狭い路地を入ると、ここで生活している人たちの手作りの住居が密集しています。狭い1つの部屋で家族が肩寄せ合って生活しています。食事の支度も寝るのも同じ場所。皆、懸命に必死で生きています。そして、この狭い路地には子供たちが跳びはね、嬌声、時には泣き声がいつも聞こえますhappy01
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2009年7月20日 (月)

カンボジアのバイクタクシー

カンボジアの庶民の足はバイクタクシーとトゥクトゥク(3輪車)です。バスは都市間の長距離バスだけで、市内バスはありません。バイクタクシーの定員は幼児・子供が一緒なら4人!。それ以上や沢山の荷物がある時はトゥクトゥクです。バイクタクシーの料金は勿論交渉ですが、市内で概ね1ドル(4000リエル=100円)。トゥクトゥクはバイクの約2倍です。通りを走るバイクを見ますと、女性は勿論、小さな子供が当然顔で乗っていますしお母さんは横座りで赤ちゃんを抱えて乗っています。右を見ても左を見ても3人乗り4人乗りは当たり前sign015人連なって乗って走っていますsign03自転車を横に抱えていたり、長いソファーも運んでいたりするのを見ると、バイクで運べない物は無いのだと知ります。ベネズエラのカラカスでの恐怖体験も薄らいでいましたので、乗りましたsign01。皆さん優しい運転で、怒鳴り合う事もなく、警笛で威嚇する事も無く、譲り合ったりして安全ですcatfaceでもヘルメットが運転手にはあっても、客にはありません。危険ですcrying。バイクのこちらでの価格は約1000ドル≒10万円。ローン制度はありませんので、平均月収200ドルの生活の中から5年位コツコツと貯めて買っています。一財産なのです。
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カンボジアのバス

カンボジアには鉄道が1本ありますが、週に往復1便wobbly。従って生産活動にも生活にもほとんど用を無しません。都市間の移動は専らバスとなります。どこの宿でも切符を販売していて、どんな安宿にでも30分程前に車で迎えに来てくれます。バス駅を探して大きなカバンを引きずってウロウロしなくて済むのは有難いwink300キロの距離で4ドル≒400円。一般道しかありませんので、300キロで休憩1時間程を含めて5時間位です。ほとんどが韓国とか日本のかなりの中古バス。だからちょっと狭い。設備は暑い国ですので当り前の冷房バスで、南米バスの様な冷蔵バスではありません。そして大きなカバンをバスの下の荷物室へ預ける時に引換券はありません。ベネズエラで体験した様な大騒動は無いのでしょう。アジアの人達は優しいのです!。運転手の頭の上のブラウン管テレビからはカンボジア音楽の映像が映し出され続けます。選曲は運転手の好みです。聴けば日本の演歌に似ています。ある時など、聴いた曲だなと思ったら、橋幸夫の「潮来笠」でした。もう40年は経つでしょう。懐かしさが込み上げ、口ずさんでしまいました!。ずっと聴かされ続けると、耳に残ってしまい、カンボジア人になってしまいそうsign01。休憩所に入ると、物売りさん達が押し寄せます。中には物乞いさんもいます。駅に着けば、バイクタクシーとトゥクトゥク運転手に囲まれ、身動き出来なくなったりします。カンボジアからはタイのバンコック、ベトナムのホーチミン行きの国際バスも運行されています。さんもご利用下さいhappy01
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2009年7月15日 (水)

アンコール遺跡の町・シェムリアップ

アンコール遺跡で名高いシェムリアップの町は首都・プノンペンから北西へ約250キロ、インドシナ最大の湖・トンレサップ湖の北にあります。シェムリアップの名の意は「シャム人敗戦の地」、これは17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことにちなんでいます。大殺戮をしたクメールルージュ(ポルポト派)が政権を追われた後に、アンコール遺跡群に立て篭もっていた為、住民は避難を余儀なくされていまししたが、クメールルージュの分裂・投降・消滅後は観光の拠点として、ホテル、レストラン、スパリゾート施設の建設ラッシュで大きく変貌してきましたannoy。観光客も多く見掛けます。大半は欧米人です。町を南北に走るメインストリートのシヴォタ通りには小奇麗な店が立ち並び、東西に走る6号線には大きなホテルに土産品ビルなどが建てられていました。13年前は小さな田舎町だったのです。特に変貌を感じたのが日本人安宿です。小さな民家だったのが大きなビルになっていて見違えてしまいました。宿泊料は相部屋が2ドル≒200円昔は1ドルだった様な気がします。この宿のレストランのメニューの親子丼は2ドル。味はまずまずなのですが、付いてくるのが味噌汁ではなく当地のスープ。合いませんweep。カンボジア政府観光局の案内には「世界が注目する小さな町は、ゆったりとした時の流れの中、訪れる人々に安らぎをもたらしてくれる町でもある…。」などと書かれてありましたが、通りを3歩歩けば「バイク!トゥクトゥクsign01」の声が掛り、オチオチ歩けません。シヴォタ通りも大半は未舗装で、車が走ると土埃が舞い上がり、雨になれば水溜まりにぬかるみ。土砂降りでは道路冠水で川に変貌しますsad。この町の経済を抑えているのがベトナム人。それに伍して来ているのが韓国人。カンボジア人は何をしているのでしょう。日本人は体のいいお客さんです
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2009年7月 6日 (月)

カンボジア王国の首都・プノンペン

プノンペンはカンボジア王国の首都。人口は約140万。カンボジアの行政、文化、経済の中心地で、「東洋のパリ」と謳われ、フランス植民地時代の美しい街並みが残っています。1975年ポル・ポト軍によってプノンペンの住民は全て農村部に移住させられ、一時はゴーストタウンshockと化してしまいました。ポル・ポト派による社会主義政権の誕生と内戦の影響で街は荒廃の一途をたどり、首都としての機能は一切失われました。 しかし、1993年の新生「カンボジア王国」誕生以降、街は再建に向かい活気を取り戻し、今では賑わいを見せていますhappy01。街の交通機関は車と3輪車とバイクと自転車。車の大半は日本車。その内の80%がトヨタ!。恐るべしsign01。残りを他の日本メーカーが分け合い、ほんの僅かにヨーロッパ車です。大通りは絶えず混雑渋滞してますが、南米諸国の様にクラクションが鳴りっ放しはありませんcatface。それに運転も大人しく、自転車でウロチョロ走っても、どやされる事もなく安心です。カンボジア人、ホントは優しいのです。商店などは住居と職場が同居で、子守しながらの店番が当然。あちこちで子供たちが飛び跳ねています。街の名前の由来はカンボジアの伝説によると、14世紀、メコン川の洪水によって流されてきた仏像を敬虔な仏教徒のひとりであるペン夫人が拾い上げ、それを祀る寺院を丘の上に建てた事。「ペン夫人の丘」と云う意味です。13年振りのカンボジアですが、物価の安さはそのままです。宿は1泊300円、食事は150円。いつまでも居たくなってしまいますlovely
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2009年6月25日 (木)

ただ今、カンボジア

3カ月半の日本滞在を終えlovely6/22に成田を発ち、マレーシアのクアラルンプールで1泊し、翌朝カンボジアの首都・プノンペンに着きました。カンボジアへは13年前が最初、今回で2度目です。前回より空港は綺麗になっていますが、街並みや人々の様子は昔と変わらない様子。通貨はリエルですが、アメリカドルと共用think。中米ジャマイカと同じです。庶民の足はオートバイの後ろに客席車を付けたトゥクトゥクで、3歩けば「乗らないか!」と声が掛りますhappy01。宿はボンコック湖沿いのゲストハウス「グランビュー」。シャワー、トイレ付きで天井扇風機の個室で1泊1ドル≒400円。納得のいく金額ですheart04。1階と屋上の食堂のメニューは2~3ドル。嬉しいですねsmile。ただ、停電が時々あって、扇風機が止まると灼熱の地獄!となるのが難点ですbearing。この界隈は安宿が並び、あちらにもこちらにも白人旅行者達が大きなリュックサック背負って歩いています。インターネットカフェーに旅行社、両替所等々が並び、観光には不自由しません。でもその観光が虐殺博物館とかと云われると少し引きますshock
今回の旅の目的はアンコールワットの街・シェムリアップの孤児院での支援活動。でもどんなものになるか全く未定、私に何が出来るか不明weep。心密かに頑張らねば!と思っています。暫くしたらシェムリアップへ向かいます。

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2009年4月 8日 (水)

旅での救いの手?!

とかく土地土地のお兄ぃさん、お姐ぇさんにご厄介かけがちなる若造です。」とは映画「男はつらいよ」の寅さんの口上です。見知らぬ土地を旅をしますと、時折立ち往生する事があります。そんな時に何故か不思議に「救いの手」が差し延べられたりします。
今回の北中南米の旅でも幾つかありました。その中の1つはアマゾンの大都市ベレンのバス停での出来事です。
夜、風邪気味の身体で空港行きのバスを待っていました。この街でのバスの乗り方は、走って来るバスに向かって大きく腕を出す合図で止まらせ、素早く乗るのです。止まれの合図が無いと見ると、バスは道の中央寄りでそのまま走り去ってしまいます。バスが動いたままでの乗車・下車は当たり前sad。バス停に何処行きのバスが何時に来るのかは誰も知りません。土地の人に聞くか、経験が頼りです。このバス停の事は宿の掲示で知りました。世界広しと云えども、街中のバス停時刻表があるのは日本だけです。バスの来る方向に目を凝らして1時間立ちん坊weep。他の乗客達はどんどん乗って行くのに…。漸く空港行きバスが来ましたので、車道に出て手を挙げたのですが走り去ってしまいましたangry!。
落胆して歩道に戻ったところで、別のバスが目の前で止まり、ドアが開き、中から空港か?」との声sign01。見ると珍しい女性運転手heart04!。私が大きなカバンを抱えてバスを逃したのを見ていたらしい。乗れ!」と云う。空港行きのバスは此処より少し先の場所だから、そこまで乗せると云う!。ここはバスの本数が多い為、停留所は2ヶ所になっていたのですsign01。どうりで中央寄りのまま走り去るバスが多かった訳だ。こんな救いの手が差し延べられるとは思いもしませんでした。感謝sign03女性運転手女神様に見えましたheart02。それまで抱いていた乗客無視のバス運行、街の汚さ等々の不満が一挙に霧散しましたsmile。教えられたバス停で、次の空港行きバスに乗り、無事空港に着けました。本当に感謝sign03。でも、神の掌で弄ばされている気がしない訳でもありませんthink
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2009年3月14日 (土)

2度ある事は3度も4度も5度もある!

今回の北中南米の旅では、やむない乗り物替えが5回ありました。1度目は先の記事「カラカスのトンデモバス事件」でのバス乗り替え。次はブラジルに戻ってボアビスタからマナウス行きのバス。発車して少し走ったところでバスが動かなくなってdespair2度。次はジャマイカのキングストンからモンテゴイ行きのバス。乗客全員乗ったところでバスの不調sadとなって乗換3度目。確かに2度ある事は3度ありました。
そしてジャマイカのキングストンからマイアミ乗り継ぎニューヨーク行きの飛行機airplaneでは、雪snowの為に欠航でモンテゴベイ経由の別便となって4度目となりました。そして最後は帰国便のニューヨーク発シカゴ乗り継ぎ成田行き便。出発時刻が8:40なので、まだ暗い早朝6:00に宿のホステルを出ました。地下鉄で空港行きバス停へ。厳寒のバス停に立ちましたが7:00になってもバスが来ませんweep。焦ります。5度目は乗り遅れになるのかと覚悟しました!。そして雪景色
の通りを見渡すと停車中のタクシーが目に入りました。駆け寄ると調度休憩中だった運転手が戻って来て空港へ。何とか間に合ってチェックインし機上の人になり出発を待ちました。出発時間なって機長のアナウンス。「空港が混んでいて
30分遅れます。」。30分経ってまた遅れのアナウンス、結局2時間遅れでwobbly離陸。なので、シカゴに到着した時には乗り継ぎの成田行きは、飛び立った後coldsweats02。どうなるかと思いつつ航空会社のカウンターへ行くと、明日の便の航空券と合わせて今夜のホテル宿泊券と3回分の食券を渡されました。予定外のシカゴ1泊。帰国前の最後の宿は豪華な個室happy01!。3ヶ月の旅の疲れを癒しました!!!!wink5度目の乗換は良かったhappy01のかな?。
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2009年3月 9日 (月)

北中南米の旅を終えました。

昨年12月6日に出発、今年3月6日帰国の3ヶ月の旅を終えました。
久々の長期の旅で様々な出来事、出会いがありました。得難い体験は旅ならではのものです。
振り返ると、良く帰ってこれたなwinkと思います。皆様も是非!!happy01
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2009年3月 7日 (土)

ベネズエラのトンデモバス事件!

ベネズエラの首都カラカスから南の国境の町サンタヘレナ行きのバスでの出来事です。午後3時にカラカスを出発。 バスは一つの町を出ると只管草原を走り、次の町へと走ります。一つの町に一ヶ所数分停車し、乗客を積み降ろして行きます。全行程の2/3程来た翌日の昼頃、或る町で停まったままでなかなか走り出しません!despair。何やら外が騒がしい!。窓から覗くと一人のオバチャンが何やら興奮し涙目で叫んでいます!weep。どうやら荷物室に預けたオバチャンの荷物が無いらしいのです。
預け荷物は積む時に荷札を付け、引換カードを渡されます。降りる時に引換カードと荷物を交換する仕組みです。引渡し役の運転手が、ここより前で別の乗客に間違って渡してしまったらしい!bearing。オバチャンは運転手を責めています。このバスの運転手は停留所が近づくと車内放送で停留所名を言い、停まればドアを開けて降りる客は居ないかと呼び掛けもして呉れてましたthink。南米には珍しい親切で無口な運転手です。他の乗客達も降りて2人の話を聞き始めます。オバチャンは他の客達に同意を求めたりして、自分の荷物が如何に大事な物かと訴えている様子sad。多分命の次くらいに大切だったなどと言っているのでしょう。そんなに大切なら荷物室なんかに入れないで自分で抱えていればいいじゃないのか!thinkと突っ込みを入れたい所です。オバチャンは更に乗客達にサインを求め始めました。訴える為の証拠にするのか、保証金を上げる為なのか…。そして乗客達が順番に発言し始めます。身振り手振り宜しく自分の考えを述べます。演説会になってしまいましたwobbly。1時間を過ぎ、2時間を過ぎ、漸く収まった様でバスが動き始めました一件落着した様です。で、少し走って軍の検問所に差し掛かりました。形ばかりの検問で直ぐに通過と思いきや、あのオバチ
ャンと連れの男が降りて検問所の兵隊さんに何か話し始めました。兵隊さんが奥に声を掛けると、ここの隊長らしい将校が出て来ました。そして調書を取り始めます。オイオイ!これは単なる民間バスの手荷物紛失なんだ!軍の出る幕じゃないんだ!。軍は関係無いと突っぱねるべきじゃないのか!。仕方なく運転手も降りて交互に主張します。第2幕が始まってしまった!。他の乗客達もバスの動かないのには他人事ではなくなり、苛立ち始めます。双方口論している内にオバチャンの連れの男性が興奮して運転手に殴り掛かろうとする事態bearingとなり、あの運転手は切れました!。ここから先へは行かない!乗客は降りて呉れ!荷物を取って呉れ!となりました。将校も兵隊さんも呆れ顔!そして知らん顔。だから言わんこっちゃない!。オバチャンと連れの男性は乗客には何の挨拶も無く、どこかの車で去ってしまいました!。乗客達は通り掛かる車に声を掛け、ヒッチハイクで去って行きます。が、遥か遠くの終点・サンタヘレナへ行く車など通りません!。サンタヘレナまで行く乗客は山登りで旅行しているアルゼンチン人とオーストラリア人の大男コンビとベネズエラ人のオバサン、ベネズエラ人の地元山登りの中年男と若者コンビ、そして私の6人。運転手は取り残された6人に残りのバス代だとして1人当り40ボリビアス(約1000円)渡し、Uターンしてカラカスへ戻って行ってしまいました。見捨てられた6人炎天下、いつ来るかも分からないバスを只管待ちます。地元山登りの中年男が長年この道を行き来してきたが、こんな事は初めてだ!coldsweats02と言ってました。そうでしょうとも。1時間を過ぎた頃、バスが通り掛かりました。地元山登りの2人が、このバスの運転手と交渉し、40ボリビアスでサンタヘレナまで行って呉れる事になりました。このバスは中距離バス。冷房などありません!。窓全開で、天然の風が勢い良く入って来て爽快です。これでいいのです!。ブラジル国境に近くなると左手にテーブル・マウンテンと呼ばれる上部を水平に切り取った様な卓上大地の垂直にそそり立つ岸壁が見えて来ます。ギアナ高地の北の玄関口となっているカナイマです。世界最長の滝エンジェル
・フォールがあります。山男達が目指す目標です。夜7時、国境の町・サンタヘレナへ到着。地元山登り男2人は、この町の安宿を教えて呉れ、タクシーの手配までして呉れました。感謝!感謝!感謝!。あのオバチャンとバス会社の攻防はどうなるのか知りたいものですbleah
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2009年3月 2日 (月)

カラカスのモト・タクシー

Photo_2 モトタクシーとはオートバイタクシーの事。
客は後部席に座ります。料金メーター無し。行先で値段交渉。ブラジルにもありましたが、まだ乗ってませんでした。まずは地下鉄駅から近くのバス駅まで初乗車。車輪付きリュクサックを背負い、ショルダーバッグを前に抱え、運転手に抱きつきますhappy01。男は好きではありませんが、好き嫌いを言ってる場合ではないのです!。ヘルメットは運転手にはあっても客には無し!shock。ブラジルではあったのに…。仲間の運転手達に見送られて出発。勢いよく警笛鳴り響く車
道に突入!バイクは狭い道の4輪車の間を縫って走ります。チョット怖いと感じましたが、近かったので直ぐに着き、こんなものか!という感じでした。5分程で10ボリーバル(BS)250円。2回目はこのバス駅から郊外のバス駅までの長距離。値段交渉で80ボリーバル(約2千円)を60ボリーバルに値下げ交渉して出発。今度も若い兄ちゃん運転手sign01。鼻髭何んか生やしています。バイクは大通りの車の波の中に突入。バイクのハンドル幅ギリギリの車間を減速せずに走り抜けます。渋滞していると反対側の車線を走ります!。白バイが見ていましたが黙認ですdespair。前後に余裕があると見ると、右に左に車体を傾けて縫う様に激走!。接触転倒したら、道路上に放り出されます。正直、死ぬかと思いました…cryingshock
その上に突然の雨!rain土砂降りです。目も開けられません!背中のリュックもビショ濡れで、中身が心配。抱きついている兄ちゃんはガタガタ震えています。寒い!などと叫んでます!。大きな木の下で雨宿りしている同じモトタクシーの隣で暫し雨宿り。暫く居ても雨は止みそうもないので、行こうと兄ちゃんは言う。同意して出発。しかし兄ちゃんは道が分からないらしく、何回も人に尋ねます。時には同じモトタクシーと並走しながら聞いてます。何回も方向転換、逆走、強硬突破。もう命は預けましたweep。1時間近く走り、やっと到着。もう全身ビショ濡れ!!!御苦労さん、兄ちゃん!。
到着後の値上げ要求に、今回は素直に応じました…。駅のトイレで下着とズボンは着替えましたが、身体は冷えたまま。これで20時間の南米の夜行冷蔵バスに乗り、てき面に風邪引きました。兄ちゃんは大丈夫だったろうか?catface

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2009年2月27日 (金)

ただ今、ジャマイカ!

38年振りのブラジル訪問を終え、サンパウロから空路でニューヨークを経てマイアミへ戻りました。直ぐに空港カウンタでジャマイカのキングストン行きの航空券を買い、その日に首都キングストンへ。1泊してバスで観光都市・モンテゴベイへ来ました。今回の3ヵ月の旅も終りに近くなり、慌ただしい旅程です。この国は中米にありながら英語が共通語、車は左側通行。英国の植民地だったからです。面積は約2万平方キロ、秋田県とほぼ同じ。人口約300万人の小国です。
他の中南米諸国同様に貧しい国で、浮浪者が多く、若干物騒ですcrying。なのに物価は日本並み!gawk
初出場したワールドカップ・フランス大会で、日本はこの国に負けていますshock。今もって、大国日本が負けたのが不思議です。偶然に手に入った入場券を持ってリヨンまで出掛けた私は、陽気なジャマイカサポーター達を見て、ジャマイカとはどんな国なのだろう一度行って見ようかと思ったものでした。折角ここまで来たからキューバへも思ったのですが、ジャマイカ休日やら便が少ないやらで今回は断念bearing。行き当たりバッタリで、この国を歩いての感想は女が強いwink
事です。宿でも商店でも女性がしっかり財布を握っています。街を闊歩するビジネスウーマンが逞しく見えます!Photo

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2009年2月12日 (木)

南米のバスは冷蔵車

サンパウロに長距離バス駅は幾つかありまさすが、そのどれもが大きくて広いsign01。駅構内に人波は途切れず、絶え間
なくなく大型バスbusが入出車しています。
今回の南米の旅で、最初に乗った長距離夜行バスはサンパウロからミランドポリス行きの600キロ、約8時間。幾つもあるホームをうろうろしてバスを見つけ、チケット見せて乗ろうとすると、名前と証明書番号を書けと言われました。良く見るとチャント記入欄がありましたthink!。乗車すると座席は広くてゆったり!。リクライニングも135度にまで倒せます。そして冷房が効いていて涼しい。これは快適heart01!と期待を膨らませました。甘い期待は外れるものですcatface!。バスはほぼ定刻に発車。暫くすると涼しさが寒さに変わっていきPhoto_6 ました。12月のサンパウロですから皆Tシャツ姿。回りはと見ると、冬服やら毛布を羽織るやら防寒対策しています。エッエッエッです。そう云えば他の乗客達は乗車の時に、何やら大きな荷物を抱えていました。あれは防寒着だったのだと知りました。こんな事、ガイドブックに書いて無かった!。直ぐに頭上の冷気口を閉めます。他の客達のは閉まってます。防寒着でしたらニューヨーク用に持ってましたが、バスの荷物室の中、ショルダーバックの中を探ると、風呂敷がありましたconfident!。風呂敷は丸い物から四角い物まで何でも包み、カバンにもなり、応急処置の手当てにも使えます!日本の誇る万能品です。これを首に巻き、下げて身体を覆いました。緊急防寒対策です。これで凍死は防げましたcoldsweats01!次回からは防寒着を忘れません!、たまに忘れると、慌てて運転手に頼みこんで荷物室を開けて貰います。ベネズエラに入る時には、事前に旅仲間達からブラジルよりも寒いとの情報を得ていましたので身構えて乗り込みましたが、ブラジル並みで安堵しました。心配は杞憂に終わる事が多い様です。途中停車の休憩所での蒸し暑さの何と嬉しい事か!!。たまに乗る中距離や市内路線バスの壊れた窓から入る風の何と心地良い事happy01!。しかし、自己主張の強いこの国々の人達が文句も言わないのは不思議な事です。もしかして、日頃暑いからバスでの寒さを味わっているのかも知れませんsmile

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マナウスから空路サンパウロへ

ブラジルを北上し、ベレン、マナウスを経由してベネズエラのカラカスへ辿り着きました。帰りはマナウスまでは、まだ南米バスの寒さに耐えられましたがbearing、限界を感じcrying、マナウスからサンパウロへは空の旅ですairplane。2月10日未明3時発で2700キロ飛んで8時着、同日です!。飛行機は早くて綺麗で、楽で、確かで、便利な事を再確認しました。52日振りのサンパウロの街は綺麗に見えました!heart01。マナウスに長く滞在し過ぎた様です。人間の慣れと錯覚は恐ろしいものです!暫くして回復しました。ご安心下さい今回の宿はホステル・サンパウロです。相部屋で非会員は1泊40レアル(約2000円)と割高ですが、インターネットランがあり、朝食は豪華bread!、自炊設備は充実、部屋の管理が確かです。
同じ国際ユースホステルであるマナウスの、あのいい加減さ!いや、おおらかさは何だったろう?と、遠いマナウスを懐かしんでいます。
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陸路での国境越え

久しぶりに陸路国境越えをしました
マナウスからボアビスタで乗継の、ベネズエラの国境の町・サンタヘレナ行きの国際バスチケットを購入。マナウスを経って13時間後の翌朝に乗継時間20分前にボアビスタに着きました。時間が迫っていましたので、また乗り遅れを心配してしまいましたthink。サンタヘレナ行きバスを待ちました。ホームに立っていると、長身で鼻髭の男が声を掛けて来ました。昨日、ホステルで顔を見かけたドイツ人です。中年バックパッカーです。彼もカラカス行き。旅の道連れが出来ましたhappy01私より下手なポルトガル語で一所懸命話し掛けて来ますhappy02定刻時間から10分、20分、30分…。バス会社の係員に聞くと、遅れているね!40分、50分まだ来ません。結局、1時間半遅れshock。でもバス会社の誰も言い訳しませ
ん!。9時少しに出発し、国境近くでブラジル軍兵士がバスに乗り込んで来ました。バスの乗客は全部で6人。私とドイツ人の2人の外国人だけパスポートの提示を求められ、旅行目的を聞かれて無事終了。2人の外国人は互いに顔を
見合わせ、親指を立てましたまず、ブラジルの出国審査。どこの国も出国は簡単です。バスに乗って国境を越えるとベネズエラの入国審査。数人が行列しています。その後ろへバスの乗客6人が並びました。入国審査係官は若い女性2人。冗談も言わず、淡々とパスポートをチェックし記録しています。先にドイツ人。簡単に終わってバスへ戻ります。しんがりは私。係官はノートへパスポートの名前・番号・国籍を転記し、職業を聞いて約5分!で終了heart02。パスポートに挟んだ黄熱病種痘証明書は表紙をチラッと見ただけ!せめて、国籍欄だけは見て欲しかった!!!!!smile
バスに戻って待っていたドイツ人と、また、親指を立て合いましたバスは乗客6人を乗せてベネズエラへと入って行きますが、思えば、荷物検査がブラジルでもベネズエラでも何も無し!運転手は顔パス!こんな事で国境管理はいいのかangry、と両国に言いたい!
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2009年2月 9日 (月)

ブラジルで黄熱病予防接種

ブラジルからベネズエラへ入国しようとしたところ、黄熱病予防接種の証明の必要な事に気付きました。
いつもの事ながら泥縄式wobblyで早速マナウスの港で予防接種を受けました。客は私だけ。ホンの10分程で終わり、無料です。これが日本ですと事細かに決め事がありますbearing。まず料金が証明書代含めて8530円!。事前に郵便局でこの金額の収入印紙を買っていかなくてはなりません。当然ながら事前予約が必要で、静岡県民ですと名古屋検疫所ですが、毎週木曜の午後1時からしかやって呉れませんベネズエラ入国にはツーリストカードが必要と、ガイドブックやらネット情報に書かれてありましたので、ボアビスタのベネズエラ領事館へ出掛けました。領事館は小さな民家風です。カードマンに促されてドアを開けると可愛い女の子事務員さんが一人。カードを求めますと、日本人なら不要との返事。黄熱病接種証明があればいいと言います。これですか?とマナウスでタダで貰った証明書を見せますと、それはブラジル国内用だから空港で国際証明書を作って貰いなさいと教えて呉れました。手書きで書かれ、記録も大学ノートへ書かれただけでしたので、若干不安でしたが、やっぱりでした。早速空港へ。小さな空港です。ドアに健康とか何とか掲示された部屋に入ると、おばさん係官が2人。申請者達と楽しそうに喋りながら笑いながら仕事してます。仕事は楽しくなければいけません!。
私もブラジル人に交じって30分程で取得!。綺麗にタイプされた証明書です。無料!これで万万歳と思いきや、宿に帰って良く良く見ると、国籍欄がブラジル!日本国旅券を提示して作って貰ったのに…。私はブラジル人になりましたhappy01。喜んではいられないので、翌日また空港へ。発行所のおばさん係官は悪びれる様子も無く、再発行して呉れました。手渡す時には「全てOK!」と親指を立て、笑顔を呉れました。ありがとう、おばさん!heart04
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アマゾンまっただ中の大都市・マナウス!

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マナウスはアマゾン河上流1700キロの地にあり、アマゾナス州の州都、人口150万の大都会です。アマゾナス州は日本の23倍のブラジルの4分の1の面積を占めます。さて、日本の何倍でしょう??confident
19世紀後半、ジャングルの奥地で当時は船しか交通手段が無い寂れた地域だったのですが、アマゾン上流でゴムが発見され、アメリカの車のタイヤへの供給で莫大な富がこの地にもたらされ、大都市へと発展しました。しかしゴムの供給地は東南アジアへと移り、マナウスのゴムによる繁栄は終わりを告げました。しかし、パリのオペ
ラ座を模して造られたアマゾナス劇場を代表とする豪華な建造物群が残されました。ここでは欧州から一流の歌手を招いてオペラが上演されnote、ダンスホールでは夜毎に大舞踏会が催うされていました。
その後は日本人移民によるジュート生産(コーヒー袋用)や胡椒の栽培で再び景気を蘇らせもしました。この地にも日本人は貢献しています。頑張れニッポンfuji
今年は日本人移民アマゾン入植80周年です。現在は観光都市、自由貿易都市、産業都市として大いに賑わっています。とてもアマゾン奥地に居るとは思えない活気に満ち溢れた街ですbuilding
私も3回の滞在で10日を越えました。

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今度はホントにバスに乗り遅れ!

マナウスからベネズエラ国境近くの町・ボアビスタ行きのバスでの出来事です。
出発時刻は午後9時。宿近くのバス停で30分以上も待たされて長距離バス駅へ着いたのは20分前。何とか間に合
ったと安心して、ホームに行きました。出発間近なのに私のバスが来てませんsad!待合所でバスチケットを何気なく見ると、出発時刻が19:00と書かれています。薄いタイプ印刷文字ですが、どう見ても19:00!エッエッエッhappy02です。売切れが心配で昨日買っておいたのに…。買った時に19時と言われたのを午後9時と聞き間違えたのです。ブラジルで、これまでバスチケットを買う時はいつも時刻表現が24時間でなく、午前午後を使う12時間表現だったのです。今回に限り、24時間だった!!昨日から24時間一度も見直さなかった!。思い込みは怖い!。幸い最終便23:59があるので、鷹揚なブラジルだから多分大丈夫だろうと、窓口へ交換依頼に行きました。当然の如く、窓口係員はパソコン端末で変更操作を始めてくれましたが、通信不良でパソコンが立ち上がらないgawk。10分待てと言われ、10分後に行くと、
20分待て、20分後に行くと30分。これを何度か繰り返し、最後はバス運転手に頼め!で落ち着きました。後は空席のあるのを祈るばかりlovely。20分前にバスは来て、運転手に頼むと、待て、5分前になって漸く乗車出来ました。
座席はほぼ満席!天の恵みです!!!!coldsweats01。以後は購入後に確認を怠りません!。皆様もご注意下さい!。
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2009年1月26日 (月)

ベレンからマナウスまで1400キロの船の旅!

020_26c110 南米大陸北部を横断する大アマゾン河の河口の街・ベレン。ここから上流1400キロに大都市マナウスがあります。この間の交通は空路なら2時間、船なら6日間
今回の旅は時間がたっぷりなので船の旅ship!。船室は2等ハンモックと1等個室があります。ハンモックは250レアル≒12500円、個室は400レアル≒20000円。迷いましたが、ハンモック持ってないし、パソコン等貴重品沢山あるので個室を選択。でも2段ベッド2人部屋です。出発は夕方ですが、昼前から2等乗客たちは詰め掛けていますハンモックに指定場所は無く、早いもの勝ちでいいとこ取りだからです。夕方近くになると2等船室は色とりどりのハンモックで埋め尽くされます。荷物と混在ですhappy02
船は全長450メートル。乗客数はハンモック客251、個室34の合計285人。私の部屋の相客はブラジル人青年。左足が太股からありません。義足と松葉杖を時と場合で、上手に使い分けていました。聞くと、交通事故で無くしたとの事。また父親も同時に亡くしたと言います。でも彼は全く屈託なく物おじせず、乗船中ずっと女の子を口
説いて暗闇に誘っていました。イケメンだったから不自由無い様ですheart02アマゾン河にはほとんど波が無く、いつまでもどこまでも流れる様に進みました。両岸はアマゾンの森が続き、時折、原住民の家が見えたりしますhouse。途中で数回停泊し、乗客と荷物の乗り降りがありました。ほぼ中間のサンタレンではほぼ半日停泊。手作業で荷物を運んでました。コンテナだったら1時間で済んだでしょうにshock。朝のカフェーは無料。パンとコーヒー牛乳が配られます。昼食・夕食は5レアル≒250円。油ご飯と豆、肉と野菜のごった煮。毎日毎回同じメニューで終いには飽きました!。乗客たちは甲板でダンスしたり、シャワーを浴びたり、ゲームをしたり、ひたすら川辺・川岸を眺め続けたりしてます。私はと云えば、1等客専用ロビーでパソコンでの写真編集三昧でしたpc
しかし6日は長かった!。もう船旅は遠慮したい!そして、1月19日の未明にマナウスへ到着しましたnight
Santarem70

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天理教ブラジル伝道庁

ブラジルのサンパウロ州の西350キロにバウルー市があります。
ここの小高い丘に大きな日本の宗教の教会があります。天理教ブラジル伝道庁です。日本では全国各地に1万7千余の教会があり、見慣れた建物ですが、日本から最も遠い国にも同じ形であるのです。チョット不思議な感じhappy01!朝夕のおつとめ(礼拝)も同じです!。太鼓と鐘の音に乗って「悪しきを払うて助けたまえ天理王の命!」の祈りの言葉が聞こえてきますnotes。教会前の道の名は「天理通り」です。
この伝道庁の初代伝道庁が大竹忠治郎さん。現在の2代目伝道庁長は村田雄治さん。天理教の布教師だった大竹さんは24才の時に天理教の集団移住の一員として昭和4年(1929)ブラジルへ渡りました。開拓と同時に布教活動に励み、布教所・教会開設の後、伝道庁設置で初代伝道庁長に任命されました。ブラジル伝道63年半、平成4年(1992)88才で亡くなられました。一生を天理教布教に捧げられました。天理教のみならず、宗教の開拓伝道のお手本ですbook
天理教は天保9年(1838)10月26日、教祖(おやさま)中山みきに親神(元の神・天理王命)が入り込み、立教しました。
親神がこの世を造ったのは、人間が陽気暮らしするのを見て、共に楽しみたいからと教えますlovely。自分中心の心づかいや行いは慎み、他の人々を勇ませてこそ本当の陽気であり、異なる個性をもつお互いが、互いの良いところを伸ばし合い、足りないところは補い合う。その助けたり、助けられたりしながら、共に生きる事が陽気ぐらしの姿であり、それが、私たち人間の生きる目的と教えますheart01。教主を真柱(しんばしら)、信者を用木(ようぼく)と呼びます。
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2009年1月25日 (日)

赤道直下のベレン市

2 偉大な街!ブラジリアから怪適な36時間バスで辿り着いたのがベレンです。全長6500キロの大アマゾン河河口の北部ブラジルを代表する人口130万の街、パラ州の州都です。到着した長距離バス駅は、出発したどこかの首都のバス駅より綺麗!おまけに駅内にインターネットカフェーがあります。どこかの首都ではバス駅はもとより、街を歩き回って1軒しか見つけられなかったのにhappy02。暑いけど緑が沢山で、そんなに暑さを感じません。毎日スコールがあるから、そんなに気温が上がらないのでしょう。
人々の顔はインディオ系が多く、穏やかに見えます。まず宿探しで、バス駅の回りのホテル1軒づつを「幾らですか?」、続いて「インターネット無線ラン出来ますか?」
と尋ね歩きました。この街に長居はしない予定なので似合わないのですが中級ホテルに決定。1泊49レアル≒2500円。
港町ですから魚は新鮮!coldsweats01。ホテル前の屋台食堂で焼き魚定食を戴きました。
思えば焼き魚なんて久し振り。4レアル≒200円。
パラ州も日本人移民が多く入植し、この街には現在日系人が約3000人が住んでいます。ここに「汎アマゾニア日伯協会」があり、今年は日本人移民入植80周年の記念行事が 多く予定されています。ちなみに昨年はブラジル日本人移民百周年でした。
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2009年1月23日 (金)

人工首都・ブラジリア

ブラジルの首都は人工都市・ブラジリア。
1955年に当時の首都リオ・デ・ジャネイロから移りました。中央高原部を開拓発展させようと、当時の大統領が英断しました。街の形は上空から眺めると飛行機の形をしています。きっとナスカの地上絵を真似たに違いありません(^-^)!機首の部分は三権広場で国会議事堂・裁判所・大統領府があります。上院はお椀を伏せた形、下院はお椀をそのまま置いた形と斬新です。両翼は住宅街でホテルが並びます。胴体は公園で、市民の憩いの場所。テレビ塔も立ってます。広大な土地に建物が点在している感じでゆったりで、とても人口200万とは思えません。政策の為か、役所の街なので、産業が少なくて職が無くて人が集まらないのか、人口が集中していない様子。自然保護にはいい事ですconfident
中心部は綿密な設計が施されしたが、街の外の周辺部は手つかず、その為にスラムがあちこちに出来てしまいました!偉大な失敗都市とも呼びます…私が…happy02
なのに世界遺産に登録されているのは不思議!?どうして???。これを反面教師として成功した都市計画の街が、同じブラジルにあります。南のパラナ州の州都クリチバ。世界的にも高い評価を受けています。サンパウロに次いで日系人の多い街でもあります。この街の都市計画・環境対策の要になったのが、日本人移民の中村ひとしさん。パラナ州環境・水資源庁長官、クリチバ市環境局長として腕を振るいました!。アッパレ!一見の価値あります!。まだ行ってませんが…bleahPhoto_2

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2009年1月22日 (木)

バスに置いてきぼり!?

首都ブラジリアからベレンまで約2,000キロ。36時間のバスbus
の出来事です。 長旅ですから何度も休憩します。
バスにもトイレはありますが、落ち着いて出来るのはやはり動か
ないトイレですgawk
些か寂れた休憩所のトイレに入り出てくると、私のバスがいないshock
ホンの数分だったのに!!!。
ここはどこ?、私は誰?状態になります(*_*)。
運転手は客の確認をしないのか!
乗客たちも珍しい東洋人がいたのを忘れたのかhappy02.。
昔、インドで荷物全部を無くした二の舞か (++)
座席に置いた鞄には情報満載のパソコンが入っているのに…weep
でも旅慣れて感性が鈍っている為か、そんなに動揺しません(?_?)。
きっと運転手は気付いて戻って来ると信じてバスを待ちました。
10分、20分、でも来ません!!!crying
それではと、電話カードを買ってバス会社に電話しようかと電話
ボックス辺りを見ると、一緒に乗っていて、ここで降りたらしいシス
ター(尼さん)が見えます。地獄に尼さんですlovely!。
助けて下さい!私のバスが行ってしまいました!と訴えました。
すると、涼しい顔で「私もベレンへいきますよ!」との御返事。
次いで「バスは洗車でガレージです。すぐに戻るでしょう」と、おっ
しゃる。エツ、エツ、エツです。
まるでビートルズのLet  It  Beのマリア様のお言葉です。
助けを求めたのがシスターで良かったlovely!。
一般のブラジル人だったら大笑いをされるところでした。
と、ここで一件落着かと思いきや、二件目がありましたcoldsweats02
今度は大きなバス駅。
また洗車で乗客降ろして行ったはいいが、なかなか帰って来な
い!。戻ってくるのは降ろされた場所ではないらしく、乗客たち
10数人は大混雑の夜のバス駅内を、シスター先頭に、あっちへ
こっとへバスを求めて彷徨いました!!。
ホントにこの国のバスの運行はどうなっているのだ!!!。
責任者を出せ!!!!でしたcatface
大体からして、ブラジルのバスの運転手は休憩所で止まっても、
黙って降りてコーヒーなんか飲んでます。
ここが何処なのか、何故止まったのか、何分止まるのか、こちら
が聞かない限り何にも言わないのですpout
そんなこんなで36時間の長旅で何とかベレンに着きました!。
まあ、目出度し愛でたしですbleah

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2009年1月 9日 (金)

ブラジルから謹賀新年!!!

明けましておめでとう、ございます!fuji
年末年始を弓場農場で農作業に励み、ただ今、サンパウロ方向
へ300キロ戻ったバウルー市にいます。
ここも寒さとは無縁で、道を歩くにも暑い陽射しを避けて歩きます。
ここには天理教の南米布教の拠点「ブラジル伝道庁があります。
ここで「ひのきしん」=勤労奉仕してます(゚ー゚)。
調度、信仰を学ぶ講習会開催中で、総勢400人の食事の手伝い
をしています。慣れない野菜果物の皮むき、食器洗いに奮闘して
ますhappy01。回りはほとんど日系2世3世。
ポルトガル語と日本語のチャンポンで話していますcoldsweats01。この後は
首都ブラジリアへ向かい、更に北のベレン、そしてマナウスです。
無事に辿り着ける様、祈って下さいscissors
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2009年1月 5日 (月)

弓場農場の旅人たち

弓場農場には旅人が絶え間無く訪れる。
旅人は、この農場の噂を旅仲間から聞いたり、安宿の情報ノート
に記事を見つけたり、ネットで巡り合ってやって来る。
ほとんどが日本人なのは、ここが日本語社会だからである。
旅人は一宿一飯の仁義に添い、農場の人たちと一緒に畑に出る
朝6時、角笛の合図で起き(起こされ?)、7時にトラクターで畑へ
燦燦と照る太陽の下、汗ビッショリかいて、
グアバ、オクラ、トウモロコシの収穫と出荷梱包仕事。
1日百姓仕事を終えて、18時に夕食。
食事は自家製の野菜中心の総菜で自由に戴きます。
美味しいので、ついお皿山盛りになります(@_@)。風呂に入って後
は、就寝まで自由時間。食堂では毎晩、酒の肴で花が咲いてます
24時まで(^-^)。

極めて健康的な生活を味わいます。
ここの体験が恋しくて、何度も訪れる人もいます。
中には居ついてしまった人も!!。

当初、日本人移民の集団で始まったこの共同農場は、
今、移民の子孫と元・旅人との共同社会になって来ました。
天国に旅立った創立者も想定外の事でしょう…。
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弓場農場の年末年始

弓場農場にはバレエ劇団があります。
年末は農場内の劇場でXmas公演を12月25日と30日の2回実施。
近隣の住民は元より、サンパウロ市等からもバス・車で大勢が観
劇に来ます。半屋内式800人収容の劇場は満席になります。
公演内容は器楽演奏、バレエ、演劇。
今年は生演奏付きのスライドによる弓場農場の紹介がありました。
夜7時半開演で10時半まで。たっぷり楽しませてくれます。
終演後は食堂でお客さんも加わって深夜まで酒と肴の大宴会!!

年末の2回の日曜日は餅つき。
1回につき150キロの米を、皆が交代で臼でつきます。
近頃の日本ではほとんど見掛けません。
お世話になった方々への贈呈用でもあります。

大晦日には弓場農場住民は元より、お客さんも旅人も参加しての
紅白歌合戦! 自慢の喉と芸を披露します。
審査の採点方法は10点満点だけど、最低点は5点!!。
満点以上の出来だったら12点まで可(@_@)なのです!。
小生も4人の審査員の1人に指名されましたwink
年末の忙しい農作業の間の練習なのに、なかなかの出来栄え!、
皆芸達者です!。今回は白組の優勝!2年連続となりました。
終了後は手作りの年越し蕎麦を戴きます。
うどん風のラーメン(?_?)に豚スープ・味噌・野菜などなど
そしてまた、深夜まで大宴会!!。

元旦の料理は勿論、お雑煮!。
だけど午前中は農作業weep。 終わらせてから戴きます。
焼いたお餅に野菜スープまたは肉スープ。栄養満点なのです。
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2008年12月29日 (月)

弓場農場

弓場農場は南米最大の都市・サンパウロから北西600キロ、ミランド
ポリス郡の第一アリアンサ村にあります。
日本人移民の弓場勇氏を中心に1935年から始まった生活共同体
祈ること、百姓すること、芸術することをモットーに現在1世から
4世までの約20世帯70人程が生活を共にしています。
生活言語は日本語で4世までも漢字の読み書きが出来ます。食
事は全員が大食堂で小さな祈りをして戴きますevent
食事合図は角笛。バイキング式でご飯、味噌汁、漬物、フェイジョアー
ダ(豆スープ)が常時あり、朝は6時に大食堂へ集まり、パンとバター
ジャム、牛乳、ゆで卵、ハム等が出ます。
昼と夜は日本とブラジルの様々な総菜・肉類の料理が山盛りです。
ほとんどが自家製で栄養満点(^-^)!。
風呂(大浴場)、便所は共同。朝から夕方までは農作業。昼休み
は12時から14時。夜は芸術活動。
農作業はグアバ、マンゴ、パイン、椎茸を栽培し、出荷しています。
昔は養鶏から始まり、トウモロコシ栽培をしていました。
芸術活動はバレエ、合唱、楽器演奏、演劇note
1961年にユバ・バレエ団が結成され、毎年数回ブラジル各地で
公演し、日本公演も2回しています。休みは日曜日wink
年末には農場内の800人収容の劇場でクリスマス公演があり、
各地から車・バスで大勢の人たちが観に来ます。
今年2008年の公演は音楽・農場のスライド紹介・バレエ・演劇
の4種3部で構成。 外部のプロの演奏家も加わった3時間公演。
ここには、いつも世界を旅する旅人達が逗留しています。
主に若者ですが、時には90ccバイクbicycleで南米大陸縦断中と云
う定年過ぎた老夫婦が居たりします(@_@)!。
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旅の形、今昔2

大きなリュックサックを背に安宿を拠点に世界を旅するバックパッ
カー達は今も昔も大勢います!。
主に先進国の若者ですが、以前の東洋人は日本人だけ。
それが近頃は韓国・台湾・中国の若者が増えてきました。
持ち物はまず旅券(パスポート)、次に旅行資金、旅の資料、衣類。
貴重品としてはフィルム式カメラと時計くらいでした。
それがこの10年前からは、パソコンを始め、様々な電子機器が加
わりました。
斯く云う私も今回はパソコンにハードディスク、携帯電話、電子辞
書、ビデオカメラ、デジカメ、デジタルプレーヤー、各種メモリー。そ
してそれらの電源アダプター等々。荷物は重くなるばかりhappy02!!
これで紛失とか盗難に会ったら被害甚大です!。

今回アメリカに入国し、パソコンでネット情報に頼り、旅をして来ま
したが、南米に入って情勢は一変しました!。
ペンション=安宿には無線ランなど無く、サンパウロ空港はまだ有線。
インターネットカフェーは街でも空港や大型バスセンターでも
日本語入力出来ません(*_*)。
これではブログの更新が出来ません(?_?)。
後に裏ワザを旅人から教えて貰いましたが…。
これからの南米長期滞在に暗雲が立ち込めて来ました。

その為かサンパウロの安宿にはまだ旅行者ノートがありました。
読み進むと、今年9月、日本人の若者が夕方の市内バスで
拳銃強盗に会い、手荷物を盗られた!!と書かれてあります。
魚くんではないですが、ギョギョ!です。
物騒です、ブラジル!
以前には無かった民家の玄関の前の鉄格子戸。
宿に入るにも2つ鍵が要ります。
広場にも通りにも浮浪者を見ます。
昔はこんなじゃ無かった!と思う今日この頃です。

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サンパウロの東洋人街≒日本人街

サンパウロの市の中心街リベルダージ地区にガルボンブエノ通りがありま
す。通称、東洋人街。その名の通り東洋人が沢山住んでいるか
らです。昔は日本人街と呼ばれていました。
当時は東洋人としては日本人がほとんどだったからです。
日系人が経営する店舗が約400軒eye
日本から最も遠い国に世界最大の日本人街です。
農業移住で奥地へ入った日本人の多くが、食べて行けなくなり、
サンパウロに入り商売を始めたのがここカルボンブエノ通り周辺で
す。その後、中国人、韓国人が入って来た為に東洋人街と呼び
名が変わりました。でもまだ、日本人が多数を占めています。
起点の近くの橋・大坂橋には真っ赤な鳥居が立ち、
約1キロの通り沿い両側には妙な提灯形の街灯が並んでいます。
日本語の看板の店が並びます。
ラーメン屋、スーパー、居酒屋、床屋、書店に薬局に病院、図書
館(日伯文化協会内)、そして日本語新聞社が2社。昔は日本映
画館が2館ありました。
昔も今も、ここでは日本語だけで生活出来ます!。
今回38年振りにこの通りを歩いていて、当時の仕事仲間(リーダー)
バッタリ(@_@)。驚きました、ホントに。
当方は髪型がかなり変わってましたが、向こう(小山さん)は当時
そのまま!!人生は面白い!旅は実に面白いものですhappy01

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2008年12月18日 (木)

ブラジル到着!

アメリカの常夏のリゾート地マイアミから西のヒューストンを経由して12月17日
ブラジルへ到着しましたhappy01
マイアミ空港は一大観光地でもあって巨大です!
迷いに迷ってチェックインカウンターに着きました。
飛行機へ搭乗する前の
手荷物検査、身体検査は厳重でした。
パソコン、携帯電話、電子辞書、デジカメと何もかも1点1点、何やら不可解な検
査をしてました。
こんな事、イスラエルでも無かった!。
当然ながら
無事通過(^v^)。
経由地のヒューストンも大きな空港です。
ここでアメリカ出国ですが、
出国検査は無く、入国カードの半券を渡すだけ…。
こんな事は初めてでしたので、何か不安でしたdespair
ヒューストンからは一路南下で南米最大の街、サンパウロ。
私にとってブラジルは今回で2回目。
1回目は
38年前の昭和47年(1972)でした。
月日の経つのは早いもの。まさかこんな日が来ようとは…。
まずは安宿を探して投宿。昔も今も安宿は変わりません!
早速、昔歩いた道探し、もう一度歩きました。
チラチラと昔が蘇ります。
雑然とした商店街、変わらない
大雑把な国民性を感じます(*^_^*)。
昔の通りと違うのはやけに
駐車場が多い事、そして浮浪者をあちこちに
見掛ける事。
これから暫くじっくりとこの国を見ようと思います。






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2008年12月14日 (日)

ただ今、マイアミ!2

マイアミ最初の夜は、
ツインベッドの個室で
一人ぐっすり眠りました。
ジャマイカへ行きたいのだが?と宿のフロントに聞くとで旅行社を教えてくれました。
が、番地不明で通りを行ったり来たりhappy02
もう汗びっしょり!、周りの人たちは半袖姿です。
ここは常夏sun
やっと見つけた旅行社はラテンおばさん事務員が一人。
ジャマイカ経由でブラジル行きの便を探して貰いましたが、
こちらの都合のいい便がありません。
カリブの国にこだわる私に、
直接ブラジルへ行ってはどうか?と諭され!?
止む無く
従う事に決定(ρ_;)。
ビザ申請用の航空券手配書を作って貰い、場所も教えて貰ってタクシーでブラ
ジル領事館へ。申請所へ行くと、
本日終了との事(ノ_-。)。
受付は12時まで、ただ今12時20分!!!。
止む無く宿へ戻り、翌朝はバスでブラジル領事館を目指しました。
紙に書いた住所を頼りに、何度も人に尋ね、バスとメトロを幾つも乗り換え、やっと
辿り着きました。

ビザ申請所の案内は陽気なおじさん!。早口の英語が半分も聞き取れないcrying
ともかく申請書を記入して窓口嬢へ提出。
いつまで滞在か?等、幾つか確認事項を聞かれた後、
受理してくれました。
明日の午後に発行となりました。
日本ですと12日後なのはどうしてなのか?

翌日、チョット不安な気持ちでブラジル領事館へ、3度目の出頭です。
昨日の案内のおじさんが、この日は窓口の中にいて、受付をし、パスポートに承
認印を押し、パスポートを渡すという
八面六臂の仕事をしています。
私のビザには90日の数字が入ってました。規定通りです。

何はともあれブラジルへの道が開きました。
それにしても、どうして人間は国境などの縄張り作って、
人の行き来を制限
するのでしょう?。誰もが自由に行き来し、住める世界になって欲しいものですfree

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旅の形、今昔

私の初めての海外旅行は38年前の昭和45年(1970)。船の長旅でした!。
当時、世界各地の安宿にたむろする旅人達は、宿に置かれた「
旅行者ノート
を捲り、生の旅情報を得たり、自分の旅した現地情報を書き込みました。
何度も何度も書き込まれ読まれたノートは、
手垢で汚れ表紙も無くなったり、
中の頁まで無くなったりしていました(?_?)。それがこのノートが10年程前
から消えつつあります。
代わりに出てきたのが
インターネットパソコンです。まず、パソコンの置かれ
インターネットカフェーが各地に出来ました。旅人はそこで旅の情報を得る
様になりました。
旅行者ノートよりも新鮮で大量の情報があります。10分100円が相場です。
それに追いついて追い越しそうなのが、
インターネットパソコン持参です。
大方の宿は無線ランの局を持ち、投宿者たちは無料でインターネットが出来ます。
宿のロビーでは膝にノートパソコンを乗せ、画面とにらめっこしている姿が
あちこちで見られます。時にはインターネットテレビ電話している人もいます。
世の中変わるものです。
オバマさんがチェンジチェンジと言わなくても変わ
るのです!。
かく言う私も
今回の旅で初めてパソコン持参です(*^_^*)。
インターネットカフェー探しをし、日本語仕様のチェックも時間も気にしないでネット
もメールも出来ます。ホントに
世の中便利になりました(^-^)。

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2008年12月11日 (木)

ただ今、マイアミ!

ニューヨークのラガーディア空港での仮眠明けで半日宿探しでさすが
に疲れました。ギシギシの2段ベッドでもぐっすり眠りましたconfident
12月8日の昼近く、暖かい宿の部屋から寒い外へ。この宿も1泊
でお別れ。天気予報ではマイナス7度!。陽が射して明るいのが
救いです。
通りではゴミが舞い踊っています。
バス駅は中心街にあるらしいとの情報だけを頼りに地下鉄に乗
り、向かいます。
車内放送でバス駅の名を聞いて降り立つと巨大なバス駅でした。
ウロウロし、何度も人に聞いてグレイハウンドバスの切符売場に
辿り着きました。
マイアミ行きの切符は、午後2時15分発、135ドル、到着は明日
の午後10時45分。1時間ほど余裕があるので鞄を引きずって
タイムウスクエア辺りをウロウロ。
1枚99セントの行列の出来ているピザ屋で、思わす立ち食い。
バスは定刻に出発して一路南下。乗客のほとんどは黒人さん。
東洋人は私だけ
社内禁煙で携帯電話は控えるとの社内ルールが生きています!。
休憩数回を含めて36時間のバスの旅
運転手は4回、車は1回替わる長旅でしたが、そんなに疲れませ
んでした!。乗客は何人も入れ替わりましたが、最初から最後ま
で乗っていたのは私だけ!。
南下するにつれどんどん暖かくなってきました。
道路脇に見えてくるのはの熱帯植物たち。
夜11時、降り立った終点のマイアミバス駅は街外れの小さな待合
所。得意の仮眠は出来そうもなく、タクシーを呼んで貰ってホステ
ルへ。入口で白人客たちが盛り上がってパーティーしてます。
相部屋は満室で止む無く80ドルの個室へ投宿。 

ただ今、12月10日ホステルのロビーでパソコン叩いています。
隣はラテン系の人たち、スペイン語が飛び交っています。
今日はこれからジャマイカ行きの手配…。
暗中模索でどうなることやらhappy01
Miami1_2

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2008年12月 8日 (月)

ただ今、ニューヨーク!

Photo_2 いつもの様に慌しく旅立ちし、
12月6日の夜に成田を発って、15時間後にニューヨークへ着いたのにまだ12月6日の夜でしたhappy01
シカゴで入国手続きの係官は黒人のおじさん(私より年下ですが…)。
疑り深そうな顔で「何しに来た?、何処へ行くのか?」などと聞き、両手全部の指紋と顔写真を撮られました。
これでは悪いこと出来ません!
シカゴからは国内線ですので、ニューヨークで降り立ったのは国内線空港ラガーディア。まずお金を引き出そうとATMへ向かいましたが、クレジット用で
銀行カードでは使用不可の表示が出ます。
では両替しようと
一ヶ所しかない両替所へ行くと、本日は閉店。ここは国内線空港なのです。
空港案内の東洋人のおじさん、黒人のお姉さんに聞いても、分らない!。
で、朝を待つことにし、半分予想していた
空港ベンチで仮眠となりました
bleah。幸い仲間が何人かいます! 窓の外は雪が舞っています。
約40年振りのアメリカですが、
人々は静かで穏やかと感じました。
一大イベント大統領選挙疲れかも知れません!
前回の中国の印象が残っているからかも知れませんdespair.。

翌朝、両替をし、バス地下鉄共通券を買い、市中へ。
地下鉄を何度も乗り換え、
寒風吹きすさぶニューヨークの下町を
歩き回り
、ガイドブックにある日本人ホステルを探し出して投宿。
明日、長距離バスで南の暖かいフロリダ・マイアミへ向かいます。

Photo_4

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2008年11月11日 (火)

中国を旅して

今年9月、パラリンピック開催中の中国を旅しました。
中国の旅は3回目です。

名古屋から格安航空券で上海に入り、その日の晩に夜行列車で北京へ。
早朝の北京駅はまるで湧いてくる様に人が集まって来ます。皆、大きな荷物を抱えています。
切符売場は群衆で溢れ、騒然とし、行列は絶えません。
北京の大通りは片道5車線に自転車専用道と歩道が付き、中国の発展振りに脅威を感じました。
でも路地裏に入ってみると、昔と変わらぬ庶民の生活がありました。
発展著しいと云われる中国ですが、人口13億の皆がそれを享受している訳ではありません。
内陸部の多くの農民達は極貧の生活を強いられています。
更には少数民族のウィグル族、チベット族は弾圧に喘いでいます!weep
この巨大国家の経営をしているのが中国共産党。一党独裁が国是である。
13億をまとめるのは強権が必要とし、水と油を混ぜる様な社会主義市場経済を押し進めて、
ここまでは発展してきました。
でも今後はどうなるでしょう?。
この国はどうなっていくのでしょう?
隣国の日本としては注視していかなければなりません。125_4 4833_2                                
万里の長城816_2

上海青年旅行舎ユースホステル

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