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2008年12月

2008年12月29日 (月)

弓場農場

弓場農場は南米最大の都市・サンパウロから北西600キロ、ミランド
ポリス郡の第一アリアンサ村にあります。
日本人移民の弓場勇氏を中心に1935年から始まった生活共同体
祈ること、百姓すること、芸術することをモットーに現在1世から
4世までの約20世帯70人程が生活を共にしています。
生活言語は日本語で4世までも漢字の読み書きが出来ます。食
事は全員が大食堂で小さな祈りをして戴きますevent
食事合図は角笛。バイキング式でご飯、味噌汁、漬物、フェイジョアー
ダ(豆スープ)が常時あり、朝は6時に大食堂へ集まり、パンとバター
ジャム、牛乳、ゆで卵、ハム等が出ます。
昼と夜は日本とブラジルの様々な総菜・肉類の料理が山盛りです。
ほとんどが自家製で栄養満点(^-^)!。
風呂(大浴場)、便所は共同。朝から夕方までは農作業。昼休み
は12時から14時。夜は芸術活動。
農作業はグアバ、マンゴ、パイン、椎茸を栽培し、出荷しています。
昔は養鶏から始まり、トウモロコシ栽培をしていました。
芸術活動はバレエ、合唱、楽器演奏、演劇note
1961年にユバ・バレエ団が結成され、毎年数回ブラジル各地で
公演し、日本公演も2回しています。休みは日曜日wink
年末には農場内の800人収容の劇場でクリスマス公演があり、
各地から車・バスで大勢の人たちが観に来ます。
今年2008年の公演は音楽・農場のスライド紹介・バレエ・演劇
の4種3部で構成。 外部のプロの演奏家も加わった3時間公演。
ここには、いつも世界を旅する旅人達が逗留しています。
主に若者ですが、時には90ccバイクbicycleで南米大陸縦断中と云
う定年過ぎた老夫婦が居たりします(@_@)!。
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旅の形、今昔2

大きなリュックサックを背に安宿を拠点に世界を旅するバックパッ
カー達は今も昔も大勢います!。
主に先進国の若者ですが、以前の東洋人は日本人だけ。
それが近頃は韓国・台湾・中国の若者が増えてきました。
持ち物はまず旅券(パスポート)、次に旅行資金、旅の資料、衣類。
貴重品としてはフィルム式カメラと時計くらいでした。
それがこの10年前からは、パソコンを始め、様々な電子機器が加
わりました。
斯く云う私も今回はパソコンにハードディスク、携帯電話、電子辞
書、ビデオカメラ、デジカメ、デジタルプレーヤー、各種メモリー。そ
してそれらの電源アダプター等々。荷物は重くなるばかりhappy02!!
これで紛失とか盗難に会ったら被害甚大です!。

今回アメリカに入国し、パソコンでネット情報に頼り、旅をして来ま
したが、南米に入って情勢は一変しました!。
ペンション=安宿には無線ランなど無く、サンパウロ空港はまだ有線。
インターネットカフェーは街でも空港や大型バスセンターでも
日本語入力出来ません(*_*)。
これではブログの更新が出来ません(?_?)。
後に裏ワザを旅人から教えて貰いましたが…。
これからの南米長期滞在に暗雲が立ち込めて来ました。

その為かサンパウロの安宿にはまだ旅行者ノートがありました。
読み進むと、今年9月、日本人の若者が夕方の市内バスで
拳銃強盗に会い、手荷物を盗られた!!と書かれてあります。
魚くんではないですが、ギョギョ!です。
物騒です、ブラジル!
以前には無かった民家の玄関の前の鉄格子戸。
宿に入るにも2つ鍵が要ります。
広場にも通りにも浮浪者を見ます。
昔はこんなじゃ無かった!と思う今日この頃です。

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サンパウロの東洋人街≒日本人街

サンパウロの市の中心街リベルダージ地区にガルボンブエノ通りがありま
す。通称、東洋人街。その名の通り東洋人が沢山住んでいるか
らです。昔は日本人街と呼ばれていました。
当時は東洋人としては日本人がほとんどだったからです。
日系人が経営する店舗が約400軒eye
日本から最も遠い国に世界最大の日本人街です。
農業移住で奥地へ入った日本人の多くが、食べて行けなくなり、
サンパウロに入り商売を始めたのがここカルボンブエノ通り周辺で
す。その後、中国人、韓国人が入って来た為に東洋人街と呼び
名が変わりました。でもまだ、日本人が多数を占めています。
起点の近くの橋・大坂橋には真っ赤な鳥居が立ち、
約1キロの通り沿い両側には妙な提灯形の街灯が並んでいます。
日本語の看板の店が並びます。
ラーメン屋、スーパー、居酒屋、床屋、書店に薬局に病院、図書
館(日伯文化協会内)、そして日本語新聞社が2社。昔は日本映
画館が2館ありました。
昔も今も、ここでは日本語だけで生活出来ます!。
今回38年振りにこの通りを歩いていて、当時の仕事仲間(リーダー)
バッタリ(@_@)。驚きました、ホントに。
当方は髪型がかなり変わってましたが、向こう(小山さん)は当時
そのまま!!人生は面白い!旅は実に面白いものですhappy01

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2008年12月20日 (土)

ブラジル日本移民100周年!

先の記事「20世紀ブラジル」でも書きましたが、
今年
平成20年(2008)は、日本からブラジルへの移民が始まって
100年目。神戸港から780人の日本人を乗せた船
「笠戸丸」がブラジル・サントス港に着いたのが明治41年

100年前の6月18日
それから約30万人の日本人がブラジルへ渡り、今では150万人の
日系人社会
が出来ています。
日本から最も遠い国に、最も大きな日系人社会があるのは不思議ですcatface
それが今、
逆流してほぼ同数の日系ブラジル人が日本へ出稼ぎに来て
います。100周年を記念して日伯(ブラジル)両国で各種の記念行事が行わ
れています。
街としては
日系人が一番多い1万数千人が住む浜松市からは
凧揚げ隊が、旧首都リオデジャネイロで大凧を揚げました!。
ちなみに日系ブラジル人が県として一番多く住むのは愛知県。
町として人口比率の高いのが群馬県の大泉町です。

日本からの移民の多くは、日本で食べていけなくなり、

一家を上げて新天地へ渡り、
一旗上げて、帰国するつもりでした。
その夢を果たせたのは一部の人で、
多くの人たちは
辛酸を舐めました。
その物語が3年前にNHKテレビで放映された
ハルとナツで描かれてい
ます。正直、涙!
!です。
いきなりやってきた100年振りの大不況で、
派遣で働くブラジル人たち
はまっ先に契約解除され今、程度の差はあれ、同じ様な思いをしている事で
しょう。
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2008年12月18日 (木)

ブラジル到着!

アメリカの常夏のリゾート地マイアミから西のヒューストンを経由して12月17日
ブラジルへ到着しましたhappy01
マイアミ空港は一大観光地でもあって巨大です!
迷いに迷ってチェックインカウンターに着きました。
飛行機へ搭乗する前の
手荷物検査、身体検査は厳重でした。
パソコン、携帯電話、電子辞書、デジカメと何もかも1点1点、何やら不可解な検
査をしてました。
こんな事、イスラエルでも無かった!。
当然ながら
無事通過(^v^)。
経由地のヒューストンも大きな空港です。
ここでアメリカ出国ですが、
出国検査は無く、入国カードの半券を渡すだけ…。
こんな事は初めてでしたので、何か不安でしたdespair
ヒューストンからは一路南下で南米最大の街、サンパウロ。
私にとってブラジルは今回で2回目。
1回目は
38年前の昭和47年(1972)でした。
月日の経つのは早いもの。まさかこんな日が来ようとは…。
まずは安宿を探して投宿。昔も今も安宿は変わりません!
早速、昔歩いた道探し、もう一度歩きました。
チラチラと昔が蘇ります。
雑然とした商店街、変わらない
大雑把な国民性を感じます(*^_^*)。
昔の通りと違うのはやけに
駐車場が多い事、そして浮浪者をあちこちに
見掛ける事。
これから暫くじっくりとこの国を見ようと思います。






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2008年12月14日 (日)

ただ今、マイアミ!2

マイアミ最初の夜は、
ツインベッドの個室で
一人ぐっすり眠りました。
ジャマイカへ行きたいのだが?と宿のフロントに聞くとで旅行社を教えてくれました。
が、番地不明で通りを行ったり来たりhappy02
もう汗びっしょり!、周りの人たちは半袖姿です。
ここは常夏sun
やっと見つけた旅行社はラテンおばさん事務員が一人。
ジャマイカ経由でブラジル行きの便を探して貰いましたが、
こちらの都合のいい便がありません。
カリブの国にこだわる私に、
直接ブラジルへ行ってはどうか?と諭され!?
止む無く
従う事に決定(ρ_;)。
ビザ申請用の航空券手配書を作って貰い、場所も教えて貰ってタクシーでブラ
ジル領事館へ。申請所へ行くと、
本日終了との事(ノ_-。)。
受付は12時まで、ただ今12時20分!!!。
止む無く宿へ戻り、翌朝はバスでブラジル領事館を目指しました。
紙に書いた住所を頼りに、何度も人に尋ね、バスとメトロを幾つも乗り換え、やっと
辿り着きました。

ビザ申請所の案内は陽気なおじさん!。早口の英語が半分も聞き取れないcrying
ともかく申請書を記入して窓口嬢へ提出。
いつまで滞在か?等、幾つか確認事項を聞かれた後、
受理してくれました。
明日の午後に発行となりました。
日本ですと12日後なのはどうしてなのか?

翌日、チョット不安な気持ちでブラジル領事館へ、3度目の出頭です。
昨日の案内のおじさんが、この日は窓口の中にいて、受付をし、パスポートに承
認印を押し、パスポートを渡すという
八面六臂の仕事をしています。
私のビザには90日の数字が入ってました。規定通りです。

何はともあれブラジルへの道が開きました。
それにしても、どうして人間は国境などの縄張り作って、
人の行き来を制限
するのでしょう?。誰もが自由に行き来し、住める世界になって欲しいものですfree

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旅の形、今昔

私の初めての海外旅行は38年前の昭和45年(1970)。船の長旅でした!。
当時、世界各地の安宿にたむろする旅人達は、宿に置かれた「
旅行者ノート
を捲り、生の旅情報を得たり、自分の旅した現地情報を書き込みました。
何度も何度も書き込まれ読まれたノートは、
手垢で汚れ表紙も無くなったり、
中の頁まで無くなったりしていました(?_?)。それがこのノートが10年程前
から消えつつあります。
代わりに出てきたのが
インターネットパソコンです。まず、パソコンの置かれ
インターネットカフェーが各地に出来ました。旅人はそこで旅の情報を得る
様になりました。
旅行者ノートよりも新鮮で大量の情報があります。10分100円が相場です。
それに追いついて追い越しそうなのが、
インターネットパソコン持参です。
大方の宿は無線ランの局を持ち、投宿者たちは無料でインターネットが出来ます。
宿のロビーでは膝にノートパソコンを乗せ、画面とにらめっこしている姿が
あちこちで見られます。時にはインターネットテレビ電話している人もいます。
世の中変わるものです。
オバマさんがチェンジチェンジと言わなくても変わ
るのです!。
かく言う私も
今回の旅で初めてパソコン持参です(*^_^*)。
インターネットカフェー探しをし、日本語仕様のチェックも時間も気にしないでネット
もメールも出来ます。ホントに
世の中便利になりました(^-^)。

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2008年12月11日 (木)

ただ今、マイアミ!

ニューヨークのラガーディア空港での仮眠明けで半日宿探しでさすが
に疲れました。ギシギシの2段ベッドでもぐっすり眠りましたconfident
12月8日の昼近く、暖かい宿の部屋から寒い外へ。この宿も1泊
でお別れ。天気予報ではマイナス7度!。陽が射して明るいのが
救いです。
通りではゴミが舞い踊っています。
バス駅は中心街にあるらしいとの情報だけを頼りに地下鉄に乗
り、向かいます。
車内放送でバス駅の名を聞いて降り立つと巨大なバス駅でした。
ウロウロし、何度も人に聞いてグレイハウンドバスの切符売場に
辿り着きました。
マイアミ行きの切符は、午後2時15分発、135ドル、到着は明日
の午後10時45分。1時間ほど余裕があるので鞄を引きずって
タイムウスクエア辺りをウロウロ。
1枚99セントの行列の出来ているピザ屋で、思わす立ち食い。
バスは定刻に出発して一路南下。乗客のほとんどは黒人さん。
東洋人は私だけ
社内禁煙で携帯電話は控えるとの社内ルールが生きています!。
休憩数回を含めて36時間のバスの旅
運転手は4回、車は1回替わる長旅でしたが、そんなに疲れませ
んでした!。乗客は何人も入れ替わりましたが、最初から最後ま
で乗っていたのは私だけ!。
南下するにつれどんどん暖かくなってきました。
道路脇に見えてくるのはの熱帯植物たち。
夜11時、降り立った終点のマイアミバス駅は街外れの小さな待合
所。得意の仮眠は出来そうもなく、タクシーを呼んで貰ってホステ
ルへ。入口で白人客たちが盛り上がってパーティーしてます。
相部屋は満室で止む無く80ドルの個室へ投宿。 

ただ今、12月10日ホステルのロビーでパソコン叩いています。
隣はラテン系の人たち、スペイン語が飛び交っています。
今日はこれからジャマイカ行きの手配…。
暗中模索でどうなることやらhappy01
Miami1_2

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2008年12月 8日 (月)

ただ今、ニューヨーク!

Photo_2 いつもの様に慌しく旅立ちし、
12月6日の夜に成田を発って、15時間後にニューヨークへ着いたのにまだ12月6日の夜でしたhappy01
シカゴで入国手続きの係官は黒人のおじさん(私より年下ですが…)。
疑り深そうな顔で「何しに来た?、何処へ行くのか?」などと聞き、両手全部の指紋と顔写真を撮られました。
これでは悪いこと出来ません!
シカゴからは国内線ですので、ニューヨークで降り立ったのは国内線空港ラガーディア。まずお金を引き出そうとATMへ向かいましたが、クレジット用で
銀行カードでは使用不可の表示が出ます。
では両替しようと
一ヶ所しかない両替所へ行くと、本日は閉店。ここは国内線空港なのです。
空港案内の東洋人のおじさん、黒人のお姉さんに聞いても、分らない!。
で、朝を待つことにし、半分予想していた
空港ベンチで仮眠となりました
bleah。幸い仲間が何人かいます! 窓の外は雪が舞っています。
約40年振りのアメリカですが、
人々は静かで穏やかと感じました。
一大イベント大統領選挙疲れかも知れません!
前回の中国の印象が残っているからかも知れませんdespair.。

翌朝、両替をし、バス地下鉄共通券を買い、市中へ。
地下鉄を何度も乗り換え、
寒風吹きすさぶニューヨークの下町を
歩き回り
、ガイドブックにある日本人ホステルを探し出して投宿。
明日、長距離バスで南の暖かいフロリダ・マイアミへ向かいます。

Photo_4

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2008年12月 4日 (木)

「私は貝になりたい」

Photo 映画「私は貝になりたい」。
ただの一兵士が
戦犯で死刑になってしまう何ともやり切れない物語。
小さな港町で夫婦でささやかな理髪店を
営む男(中居正広)が、終戦近くなって赤紙で招集される。捕虜の米兵の処刑に関わり、
アメリカ流の戦争裁判で死刑を宣告される。
妻(仲間由紀恵)が必死に集めた
助命嘆願書も無駄になって刑場の露になってしまう。
戦争の愚かさを思わずにおれない!。
戦争は外交の最後手段とは云え、あくまでもどこまでも
避けなければならない
国の行方を担う指導者達、政治家、官僚は
肝に銘じなければならない。
平凡な男が理不尽な死を宣告され、
私は
貝になりたい
、と言う。
しかし、命あるものは全て生まれた瞬間に
死を宣告されている。
人生がどんなに短くてもどんなに長くても、人は死を前にすると、
あっと云う間の人生だったと思うのである。
人がまず考えなければならないのは、
何故生まれて来たのか?生きるのは何なのか?どう生きるべきなのか?なのである。

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2008年12月 1日 (月)

まぼろしの邪馬台国

映画「まぼろしの邪馬台国」はPhoto_2 盲目の
鉄道会社社長が遺跡に魅せられ、
会社の事業を疎かにする程、
邪馬台国の発掘発見に妻を伴ってのめり込む物語。
社長は芸達者な
竹中直人
その妻に
吉永小百合。破天荒で九州男児の見本の様な男・竹中直人に杖となって支える妻の吉永小百合。羨ましい程の夫婦愛が描かれている。
大半が団塊世代以前であろう小百合スト達は竹中直人に嫉妬しているに違いないsad

盲目など物ともしない迫力ある生き方を
した
宮崎康平と云う男には圧倒させられる。
この作品では邪馬台国は九州にあるとのするが、畿内説とか四国説もあり、
個々の説を読むとその気にさせ、
優劣は付け難い!

古代遺跡はロマン
の世界へ誘ってくれる。

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